hammocker's BLOG.

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

Girl



Girl - Sheer Greed



2014, 4 March更新
下部 【追記】と明記した部分




promo.jpg


朝のハミガキやコーヒーのように音楽を流すことが生活の一部となってしまった音楽ジャンキーは多いだろう。
きっと そんな人達には生活と音楽が切り離せなくなるほど夢中になったアーティストやレコードに出会った経験があるからじゃなかろうか?

自分にも そんなアーティストがいくつか存在するんだけど、とりわけ15才の時に出会った Girl の存在が無かったら30年以上も音楽を聴きつづけてなかっただろうし、後にも先にもファンクラブになんて入会していたのはGirlだけである。

あれ以来、聴くジャンルの振り幅は大きくなり、今はラウド・ロックだけを聴く事はなくなってしまったけど、あらゆる意味で影響されたし、自分を構築している何%かは間違い無くGirlから出来ているはずだ。

pg.jpg
Girlフィリップ・ルイス Philip Lewis (vo)ジェリー・ラフィー Gerry Laffy (G) が '78年にオランダのアムステルダムで出会ったことが切っ掛けで結成。出会った当初は2人ともバンド未経験者であり、どちらがギターでボーカルを担当するのかをコインの裏表で決めたのだとか....。

ロンドンへ戻ったのち「ブロンドのギタリスト募集」と言う広告を出しフィル・コリン Phil Collen (G)が加入。
後にジェリーの実兄サイモン・ラフィー Simmon Laffy (B)が加入。
これで Girl の基盤が出来上がる。


'79年、当時のフィリップの婚約者であった女優のブリット・エクランドの人脈や後押しを得て制作された プロモーションビデオ ( "Hoolywood Tease" "DoYou Love Me" "You Really Got Me" )をレコード会社に持ち込み Jet Records と契約を交わす。そして "The Clash” ”The Pretenders”らと共にロンドンを騒がす若者として話題になる。





今でこそPV制作など珍しくも何ともないご時世だけど 当時としては革新的であり、
PVを持ち込んでレコード契約に至ったのは Girl が先駆者である。


そして'79年、クリア・ビニールのシングル”My Number" ↑ でデビュー。
その後の’80年1月に 満を持してアルバム”Sheer Greed”をリリース。


sheergreed.jpg
"Sheer Greed”



アルバムより"Hollywood Tease"をシングル・カット。
この曲はGirl の代表曲となり、これを基準にメタル・バンドだと誤解されることが多い。




デビュー当初は UFO の全英ツアーに参加するなど順調な活動をし、他ミュージシャンからの評価も上々だった。
とりわけDeep Purple ~ rainbow レインボー(当時)のリッチー・ブラックモアGirl が大のお気に入りだったようで、フィリップ・ルイスとの親交が深く、あの「気難しい変人」と噂されたリッチーの楽屋へフィリップに限ってはフリーパスで出入り出来たそうだ。

英国でパンク・ブームが一段落した1979年当時、パンクのフィルターを通過した新しいハード・ロックがニューウェーブ・オブ・ヘビーメタル(N.W.O.H.M.)としてブームになりつつあり、GirlN.W.O.H.M.としてカテゴライズされたが、ヘビー・メタルとして括られることを極端に嫌った Girl は自らの音楽をあえてカテゴライズするなら"Precious Metal”(プレシャス・メタル)だと発言していた。

事実 Girl の音楽はシンプルなR&Rを基本にブギー、レゲエ、パンク、ハードロック、ニューウェーブなどの要素をグラマラスにmixさせた実にジャンルの引き出しが多いバンドだと言うことが”Sheer Greed”を聴けばよく解るはずである。それは Japan , AC/DC , Aerosmith , ZZ Top , David Bowie , Sex Pistols に影響を受けたと公言しているとおりである。



そして、それら楽曲の基盤を作っていたのはジェリー・ラフィーフィリップ・ルイスの2人である。
フィル・コリンは優れたギタリストでありサウンドメイカーであるが Girl での音楽的センスはフィリップ・ルイス、特にジェリー・ラフィーによる所が大きいと思われる。(私的見解)

hollwood.jpgデビュー当時の日本での評価はと言うと、アイアン・メイデンデフ・レパードなどと一緒に「ヘビーメタル四天王」などと紹介されていたものの、伸ばし放題のロン毛に薄汚い革ジャン & デニムジャケットをバンドのバッジやワッペンだらけにするのがデフォルト・スタイルだった当時のメタルファンからは評価されず、そのグラマラスな風貌から完全にルックス先行型として話題になりアイドルのようであった。

それは優れた音楽を作り出していたのに正当評価されにくかった Japan と同じで、良い耳を持った一部のファン以外に音楽性を評価される事がなかったようだ。

初期の Girl は彼らが特に強く影響を受けたと語る Japan のように中性的なメイクをしていて とてもグラマラスなルックスをしていた。特にフリップ・ルイスフィル・コリンは全盛期のデビッド・ボウイミック・ロンソンのようであった。

本国イギリスにおいても誤解や偏見を受けることが多く'80年夏、ヘビーメタル・バンドばかりが出演していたレディング・フェスに Girl も出演したが、そのファッショナブルで妖艶なルックスとメタルでもパンクでも無い独特でグラマラスな立ち位置のサウンドが当時のヘビー・メタル・ファンに受け入れられなかった。

そして同年11月末~12月に初来日を果たすがライブに来たオーディエンスの95%が女性ファンで埋め尽くされていた。(この時のサポート・バンドは日本のハード・プログレ・バンドの NOVELA だった。)
※来日前にデビッド・ゲイナー Dave Gaynor (drums)脱退。後任にブリロ Bryson Graham (drums)が加入。

この来日時、フィル・コリンアイアン・メイデン(Iron Maiden)から脱退したデニス・ストラットンの後任ギタリストとして、家が隣同士で幼なじみだったスティーブ・ハリスより参加要請されたことをミュージック・ライフ誌のインタビューで明かしている。


当時の Girl はたいそうな自信家でありビッグマウスだったため、レコード会社とのトラブルも多くベイシティー・ローラーズ(Bay City Rollers)のように『売れるレコード』を作りたい会社側と自由に作品を作りたいバンド側とが常に対立していたようだ。
しかし、アメリカをマーケットに見据えた会社の強要によりレコーデイングされたシングル "Love is a Game" をリリース。

バンド側はこれを外部作曲家(ラス・バラード)の楽曲で自分たちの作品では無いことから、当時のインタビューで自らのシングルをクソミソにこき下ろしていたのが印象深い。もちろんライヴで演奏されることも無かった。しかし、これが結構良い出来で 現在テイク違いで3種類の音源が出回っている。
※このyoutubeのはシングルとして発表されたバージョンではなく"Killing Time"収録のアウトテイクである。


他の逸話としては "Sheer Greed”での KISS のカバー曲”"Do You Love Me" を聴いた KISSジーン・シモンズから曲を贈られたそうだが、これも「他人に曲を書いてもらう必要は無い」と却下したとか.....。ある意味、武勇伝かも。。



この辺りまでの Girl の活動は概ね順調であったようだが、来日時にはすでに完成していた 2ndアルバム ”Nice 'n' Nasty" の発売をレコード会社にボイコットされてしまう。
ボイコットの本当の理由は定かではないが、著名なプロデューサーを起用せず、バンド自身のプロデュースで製作された作品が会社の意に反する出来だったと言うのが当時の雑誌などで伝えられていた。
その上 Girl のマネージャーがバンドとレコード会社との間で金儲けを企みクビになってしまう。
これによりレコードがリリースされないどころか、事実上のライブ活動さえも行えない苦境に立たされてしまう。

そんな事態から2ndアルバムが発表されるまで活動停止状態が2年。
まずはシングル "Thru The Twilight" リリース。

wastedy.jpg
"Wasted Youth"


その後、当初予定されていた 2nd アルバムのタイトルを "Nice "n" Nasty" から "Wasted Youth" へ変更し、収録曲も数曲が入れ替えられて '82年にようやく発表!
この間、新たにピート・バーナクル Pete Barnacle(Drum) が参加。
しかし、2ndアルバム ”Wasted Youth" でのドラム音源はブリロ Bryson Graham (Drum) によるものである。

g_c20.jpg
"Wasted Youth" 発表後にはオジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)の全米ツアーへサポートとして参加も決まり、順調な再スタートが期待された矢先、オジーのギタリスト ランディ・ローズが飛行機事故により他界。このためツアーはキャンセルされ、Girl は初のアメリカ進出の足がかりを失ってしまう。

その後も順調な活動が出来ず、遂にはバンド・サウンドの要であるフィル・コリンデフ・レパード(Def Leppard)を解任されたピート・ウィリス pete willis(G)の後任ギタリストとして参加要請を受け、脱退してしまうことに。

フィル・コリン
脱退後、後任ギタリストにA II Z ~ Tytanゲイリー・オーエンスが参加すると言う噂が日本には伝わって来ていたが、結局 Girlは新ギタリストにピート・ボーナス Pete Bonas(G) を迎え、'82年、末に2度目の来日公演果たすが、フィル・コリン不在の穴を埋める事が出来ずに帰国後、ついに解散と言う形で短い活動期間に終止符を打つことになってしまいました。

活動期に発表したアルバムは上記2枚のみである。

【アルバム】
'80年 ”Sheer Greed”

'82年 "Wasted Youth"



【シングル】
girl_shingle.jpg'79年 "My Number"

'80年 "Hoollywood Tease"

'80年 "The Singles"

'80年 "Love Is a Game"

'82年 "Thru The Twilight"

'82年 "Old Dogs"


"Love Is a Game"のB面の"little miss anne"はアルバム・バージョンより大きくアレンジされていて別の曲のよう。ライブではこのバージョンで演奏されている。



【日本盤シングル】
g400.jpg'80年 ハリウッド・ティーズ

'80年 ハート・ブレイク・アメリカ

'80年 ラブ・イズ・ア・ゲーム




【編集盤】
hensyuu100.jpg
'98年 "Killing Time"

'02年 "Anthology"

'04年 "The Anthology"

"Killing Time"は3rdアルバム用のデモ音源+未発表曲を集めた編集盤
"Anthology""The Anthology"はベスト・アルバム的な編集盤でジャケットは違うが共に収録曲は同じ。



【LIVE】
live100.jpg
'01年 "Live at the Marquee"

'01年 "Live at the Exposition Hall,Osaka Japan"


"Live at the Marquee"
 1981年10月に今はなきロンドンのマーキー・クラブで行われたフィル・コリン在籍時のライブ・アルバム。
"Live at the Exposition Hall,Osaka Japan"1982年 フィル・コリン(G)脱退後に行われた大阪万博ホールでのライブで(G)ピート・ボーナス(Drum)ブリロが返り咲き。このライブをリアルタイムで観た。良いライブだったが、やはりフィル・コリン不在はサウンド面でもパフォーマンス面でも大きいと感じた。


【DVD】
gdvd.jpg

'06年 "THE RARE DVD COLLECTION"


PV2曲+DEMO5曲+TV映像1曲+GERRY LAFFY2曲+SHEER GREED1曲+1982年のインタビュー収録



【Bootleg】
bootleg100.jpg
"Rainbow Tease"

"BBC Sessions"


"Rainbow Tease"
'80年11月 初来日時の東京でのライブ。当時のFMラジオで放送されたライブと同じなので 多分その放送が音源だと思われる。最後の"born to be wild"のみマーキーでのライブにリッチー・ブラックモア が飛び入りした時の音源のようだ。

"BBC Sessions"
'80年2月25日 デビューアルバム発表直後に出演したBBCの番組でのライブ。これがブートのわりに、かなりの高音質。荒削りながらパワフルなパフォーマンスが聴いているだけで目に浮かぶとても良いライブ盤である。



lewis.jpg

あれから30年、活動期には正当評価されなかったGirl であるが、なぜか今になってから評価されているようで、Girl ネタでのブロク・エントリーの多さにも驚きだが、廃盤であるアルバムがネット・オークションなどで価格高騰しているのが衝撃です。中古レコード店の壁に貼ってあるレコードみたいだもん。

今はメンバーそれぞれ、いいオッサンになっていて今さらGirl なんて名乗れないかも知れないけど、1回だけでいいからリユニオンしてアルバム1枚作ってライブをして欲しいものです。今なら偏見やジャンルにこだわらずに正当に評価されるはずだよ。もちろん Philip Lewis, Gerry Laffy, Phil Collen, Simon Laffy は不動でお願いします!

30年が過ぎて、ようやくGirlと時代が噛合って来たようだ。

思えば当時15才ながら、自分って割と良い耳してたんだなぁ~。
なんて思ってみたり……。

ところで Girl の版権ってジェリーが持っているのかな?
出来れば音質の良いリマスタリングCDでも再発してくれないかな。アルバムを探している若いファンも多いみたいだし...。


【追記】


2012年6月に行われたGerry Laffy のインタビューで
Girlの再結成について質問をされた時の返答によりますと、
2010年に日本のプロモーターよりGirl
Laffy, Lewis, Collen, Laffy, Barnacle

で再結成させないかと言う正式オファーが現実に有ったそうです。
オファーの内容はアルバムを作り、日本で6公演とイギリスで2公演。

Girl 側が提示した条件はアルバム制作にかかる費用1ヶ月$100,000 と日数。
ライブ・チケットの売り上げ額の60%

Girl 側のこの条件にプロモーターが躊躇し、再結成は頓挫。
日本のプロモーター側が提示したギャラについては具体的に語られていませんでしたが、
Philip LewisL.A. Guns の公演で一晩 $50,000-$100,000 ほどを稼ぐのに
Girl 再結成はタダ同然でfuckだとGerryが語っておりました・・。
メンバーは誰もやりたがらないとも。。

まぁ日本も2010年なんて どん底に不景気で企業にお金なんて無かったからなぁ。
結局、金銭面で折り合いがつかなかったなんて、
よくあるバンド・ストーリーですw

Girl
再結成の質問にGerry
No, it will never happen.

と答えているのが残念です。





promm.jpg


【解散後のそれぞれの活動記録】

【フィリップ・ルイス】 Philip Lewis
london cowboys (ロンドン・カウボーイズ)へギタリストとして加入するが間もなく脱退。
その後レッド・ツェッペリンジョン・ボーナムの息子であるジェイソン・ボーナムMoreのギタリストとAirrace(エアレース)を結成するが脱退。(フィリップが抜けたのちにエアレースはアルバムを発表)エアレース脱退後 New Torpedos(ニュー・トーペドス)を結成。
ニュー・トーペドス
の活動中にバーニー・トーメより彼のバンド Torme(トーメ) の一時的な後任ボーカリストの要請を受け参加するが後に正式メンバーになる。

Torme 在籍中に2枚のアルバムと1枚のライヴ・アルバムを発表。
特に1stの ”back to babylon" はパンク~グラム~ハードロックな名盤である!
その後、新天地を求めてアメリカへ渡ることを提案するがバーニーが英国から出る事を嫌ったため Torme を脱退し単身で渡米。L.A. Guns へ加入。現在もL.A. Guns で活動しながら、短期でHeavy Metal Kids のボーカルを兼任する。

途中 ロンドン・カウボーイズ 時代の旧友 スティーブ・ディオールFilthy Lucre(フィルシー・ルーカ) を結成しアルバム ”Popsmear" を発表。
個人的にはフィリップがアメリカへ渡ってからのキャリアはあまり好みじゃないが、
この Filthy lucre は素晴らしくカッコいいです。
その他、1999年にソロ・アルバム "More Purple Than Black"
日本盤タイトル”エルニーニョ”More Purple 〜とはジャケ違い)を発表。
また同時期に元ファスター・プッシー・キャット(G) ブレント・マスカットと共に
サイド・プロジェクトLiberatorsを結成。セッション・アルバム ”Access Denied” を発表している。



【フィル・コリン】 Phill Collen
Girl 脱退後より現在もデフ・レパードのギタリストとしての活動をメインにしながら、Girl 時代の旧友サイモン・ラフィーと元 Sex Pistols のドラマー、ポール・クック と共にサイド・プロジェクト Man Raze でも活動中。


【ジェリー・ラフィー】 Gerry Laffy

Girl 解散後、オーストラリアへ渡り映画やPV制作をてがける。
その後 ロンドン・カウボーイズ へ参加。
’85年、ロンドン・カウボーイズのメンバーとして来日。
ジェリー在籍時のロンドン・カウボーイズは、これまた超カッコ良いのである。
その後ソロ活動を経て兄のサイモンGirl に一時期参加していたドラマー、ピート・バーナクルSheer Greed(シアー・グリード) を結成。
その後 デュラン・デュラン のPV制作などの縁で Duran Duran(デュラン・デュラン) のベーシストジョン・テイラーのソロプロジェクトに参加、来日公演にも参加している。
現在もソロでの音楽活動と平行してペインターとしても活動中。


【サイモン・ラフィー】Simon Laffy

Hard Rain , Wild Frontiers を経た後 Sheer Greed に参加など主にジェリーと活動。現在はフィル・コリンと共に Man-Raze で活動中。


【ブリロ】Bryson Graham
Girl解散後、数々のセッションワークを経て、ソロ時代のジェリーと再び活動。
その後、1993年に亡くなっている。


【デビッド・ゲイナー】Dave Gaynor (初期ドラマー)
Girl脱退後のキャリア不明。


【ピート・ボーナス】Pete Bonas
Girl解散後のキャリア不明。


【ピート・バーナクル】Pete Barnacle
インギー・マルムスティーンのツアー・ドラマーを経て再びジェリーシアー・グリードへ参加。その後に来日し、現在 岡山在住。ローカルバンドで活動中。

スポンサーサイト

| music | 16:14 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://luckydries.blog85.fc2.com/tb.php/22-838a7ac0

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。